安土桃山時代から江戸時代にかけて、佐竹氏や水戸徳川家の支配下で武家町として発展し、
寛政9年(1797年)には武家屋敷が並ぶ格式の高い町並みが形成されました。
明治19年(1886年)の水戸大火後、武家町は商業地に再整備され、
明治22年(1889年)に水戸駅が開業し銀杏坂が整備されて交通の拠点となりました。
大正・昭和期には常陽銀行の前身や市内電車が南町を通り、金融と交通の中心地になりました。
戦後はダイエー水戸店などの商業施設が開業し、
現在も商店街や金融機関が集まる中心市街地として機能しています。
江戸時代初期、水戸城下の町人地として開かれ、もともと野原だった土地が整備されて誕生し、
元和~寛永期には「新町」「鉄砲町」などの名称で呼ばれ、町屋が建ち並んだ。
享保年間に度重なる火事の防火祈願を込めて「泉町」に改称され、明治22年(1889年)の市制施行により正式に水戸市泉町となった。
現在、この地には多くの商店や金融機関が集まり、水戸の商業中核地区として栄えている。
江戸時代、水戸城下の城下町として整備され、大工職人が多く住んでいたことから大工町と名付けられました。
天保年間には町の北端として成立し、町屋や寺院に隣接する地区でした。
明治42年(1909年)の歩兵第2連隊移転後、隊員を相手とした料亭や芸妓置屋などが増え、歓楽街として発展しました。
戦後も歓楽街の色彩が続き、現在は水戸を代表する夜の遊興街として多くの飲食店やバーが並んでいます。